1 遺言内容と異なる遺産分割協議の効力
有効な遺言が存在するにもかかわらず,遺言と異なる内容の遺産分割協議を成立させた場合の協議の有効性については,遺言の存在に関する共同相続人の認識によって分けて考える必要があります。
(1)遺言内容を相続人全員が適正に認識していた場合
遺産分割協議成立時点までに遺言の存在が明らかになり,共同相続人全員がその遺言内容をただしく把握しながらも,敢えて遺言と異なる内容の遺産分割協議を成立させた場合です。
遺言とは,被相続人が自己の死後の財産権利関係を自ら決定しようとする意思表示ですから,できる限り尊重されるべきものです。そして,共同相続人全員が遺言内容をきちんと把握していたのであれば,遺産分割協議においては,遺言に表わされた被相続人の意思をくみ取って話し合いを持つ機会があったものと評価できます。したがって,遺産分割協議成立前に遺言の存在が明らかになり,遺言内容を十分に認識したうえで共同相続人が自ら協議して決めたのであれば,その協議は遺言内容と異なっていても有効とされています。
(2)遺言内容を相続人全員が知らなかった場合
では,遺産分割協議成立時点までに遺言の存在を相続人の誰一人として知らなかった場合はどうでしょうか。
上記のとおり,遺言は被相続人の最後の意思としてできる限り尊重されるべきですが,遺言の存在が相続人に知れていなければ,相続人は遺産分割協議において被相続人の意思を確認する機会自体なかったということになります。そして,遺言があるならばできるだけ遺言に沿った分割協議を行いたいと考える相続人もいるでしょう。すなわち,遺言の存在は遺産分割協議における相続人間の合意形成の過程に大きな影響力を持っているといえるのです。
こうした事情を踏まえて,最高裁は,「相続人が遺産分割協議の意思決定をする場合において,遺言で分割の方法が定められているときは,その趣旨は遺産分割の協議及び審判を通じて可能な限り尊重されるべきものであり,相続人もその趣旨を尊重しようとするのが通常であるから,相続人の意思決定に与える影響力は格段に大きい」としたうえで,遺言内容を正確に認識していたとしても遺産分割協議の内容に変わりはなかったといえる特段の事情がない限り,相続人全員が遺言の存在を知らないままに行われた遺産分割協議は錯誤により無効であると判断しました(最判平成5・12・16判時1489・114)。
(3)相続人全員が遺言の存在を知っていたが,一部の相続人が遺言内容を誤認していた場合
過去の裁判例には,相続人全員が遺言の存在を知っていものの,相続人の一部が,遺言どおりに遺産分割を行うと不利になると他の相続人に誤った説明をしたために,他の相続人がこれを信じて遺言と異なる(かつ,遺言に従った場合に比べて他の相続人が大きく不利になる内容の)遺産分割協議を行ってしまったという事案があります。
裁判所は,他の相続人が遺言内容を正しく認識していれば分割協議内容とは異なる意思表示を行ったはずであるとして錯誤による無効主張を認めました(東京地判平成11.1.22判時1685・51)。
このように,裁判所は相続人全員が遺言の存在を知り,かつ,その内容を正しく認識していたかどうか,また,遺言内容に対する正しい認識があれば,相続人が異なった意思表示を行った蓋然性が高いかどうかという点を判断基準として,遺言と異なる遺産分割協議の効力を決していると解されます。
2 問いの検討
問いのケースでは,相続人全員が遺言の存在を知らないままに遺産分割協議を行っていますので,上記(2)にあたります。そこで,遺言内容を正しく認識していれば相続人は異なる意思表示をしたかどうかが問題になります。相続人の一人である妻は,夫と兄弟たちが長年不仲であったことから,遺言があれば遺言どおりの遺産分割を行いたいと考えていますので,遺言があれば異なる意思表示をした蓋然性が極めて高いといえます。したがって,遺言と異なる内容のこのたびの遺産分割協議は無効となる可能性があるでしょう。
「参考文献」
潮見佳男『相続法第二版』弘文堂
東京弁護士会相続・遺言研究部『遺産分割・遺言の法律相談』青林書院
高橋信男『相続・遺言の法律相談』学陽書房