Q
母は,高齢のため耳がほとんど聞こえません。最近は,発音も不明瞭になり,娘の私以外はほとんど聞き取れない状態です。父の死亡をきっかけに,母が遺言を作りたいというのですが,母はパーキンソン病にかかっており,手が震えるため,自筆の遺言はかけません。また,公正証書遺言は,聴覚や言語に障害がある人は作成できないと聞きました。このような場合,どうやって遺言を作ればよいのでしょうか。
Q
母は,高齢のため耳がほとんど聞こえません。最近は,発音も不明瞭になり,娘の私以外はほとんど聞き取れない状態です。父の死亡をきっかけに,母が遺言を作りたいというのですが,母はパーキンソン病にかかっており,手が震えるため,自筆の遺言はかけません。また,公正証書遺言は,聴覚や言語に障害がある人は作成できないと聞きました。このような場合,どうやって遺言を作ればよいのでしょうか。
A
1 自筆証書遺言の自筆要件
自筆証書遺言は,必ず遺言者本人が自筆で作成することが要件であり,他人の代筆やワープロ等による作成は認められません(民法968条)。したがって,病気等により自筆能力がない場合には,自筆証書遺言を残すことはできません。
2 聴覚・言語機能障害者に関する公正証書遺言の特則
そして,従来は,公正証書遺言の作成に際し,遺言者による口授または遺言者への読み聞かせが要件となるため,聴覚や言語機能に障害を有する者は,公正証書遺言の作成はできないものとされてきました。
しかし,こうしたハンディを理由に,法的権利が一律に否定されるべきではないという意識の高まりと,手話の発達・普及に伴い,口授によらずとも,聴覚・言語機能障害者が遺言の趣旨を公証人に伝えることが可能であると広く知られるようになったことから,平成11年の民法改正により,聴覚言語機能障害者に関する特則が民法上に規定されるに至りました(民法969条の2)。これにより,手話通訳・筆談を介した公正証書遺言への道が開かれたのです。
(1)「口がきけない」場合
遺言者が「口がきけない者」である場合,公証人および証人の前で,遺言の趣旨を通訳人の通訳により申述するか自書して,口授に変えることができます(民法969条の2第1項)。
ここにいう「口がきけない者」とは,言語機能障害により発話できない者のほか,聴覚障害のために発話不明瞭な者,病気,高齢のために発音不明瞭な者も含まれます。
なお,「通訳人」の意味については,上記のような法改正の経緯から,当初は手話通訳士が想定されていましたが,手話ができる者と出来ない者の間において差が出ることは公平とはいえないこと,条文上単に「通訳人」とのみ規定し,手話通訳人に限定していないこと等から,「通訳人」とは手話通訳人に限定されず,遺言者の意思を確実に他者に伝達できる能力を有する者であれば広く認められるというのが現在の運用です。
そして,「申述」方法も,手話によるものに限られず,遺言者の意思表示方法が客観的正確性を担保するものであれば足りるとされています。こうした解釈を最初にはっきりと示したのは,次の平成20年の東京地裁判決です。
【東京地裁判決平成20年10月9日判タ1289・227】
パーキンソン病に罹患し,口がきけなくなっていた86歳の女性につき,介助ヘルパーが通訳人となって公正証書遺言を作成したことから,相続人が遺言の無効を求めて提訴した事案です。裁判所は,このヘルパーが9年もの間,女性の介助を行い,意思疎通を図ってきたことから「通訳人」としての適格性があるとしました。
そして,公証人の問いかけに対し,遺言者が腕,足を動かしたり,喉を震わせて音を出したり,まぶたを開閉したりする動作等を示し,これをヘルパーが解釈して伝えるという通訳方法についても,長年の介助経験に裏打ちされたもので,正確性が認められるとして,遺言は有効と判断しています。
(2)耳が聞こえない場合
遺言者または証人が「耳が聞こえない者」である場合,公証人は筆記した内容を通訳人の通訳により遺言者または証人に伝えて,読み聞かせに代えることができます(969条の1第2号)。また,公証人は,筆記内容を閲覧させる方法をとることもできます(969条3号)
3 ご質問について
ご質問の場合,遺言を希望する母は自筆ができないため,自筆証書遺言の方法をとることはできません。しかし,口が聞けない者,耳が聞こえない者であっても,通訳人の通訳や閲覧の方法によって公正証書遺言を作成することが可能です。また,通訳人は遺言者の意思を確実に他者に伝達できる能力を有する者であればよいのですから,母の言葉を聞き取ることができる娘が通訳人となれば,有効な公正証書遺言を作成できると思われます。
「参考文献」
潮見佳男『相続法第二版』弘文堂
遠藤常二郎『遺言実務入門』三協法規出版